Japan Prize Laureates

Laureates of the Japan Prize

1996 Japan Prize受賞者

  • 授賞対象分野
    神経科学
  • 授賞業績
    小脳の機能原理と神経機構の解明

【業績解説文】

業績画像
伊藤 正男博士

伊藤 正男博士

特殊法人理化学研究所国際フロンティア研究システム長
日本学術会議会長

  • 国籍:日本
  • 生年月日:1928年12月4日

授賞理由

 伊藤博士は日本国名古屋市に生まれ、東京大学医学部卒業後、1959年脊髄神経節細胞膜興奮性の細胞内記録法による研究で医学博士の学位を取得。1959年より1962年までオーストラリア国立大学において、脊髄運動神経細胞上の抑制性シナブスのイオン透過性を調べ、イオン透過性がイオンの水和時の大きさに依存するとの法則性を確立しました。

 1962年以降、同博士は東京大学医学部において、小脳・延髄における神経回路結合の系統的な解析を試み、1964年には小脳プルキンエ細胞が専ら抑制作用をもつことを発見しました。当時は脳・脊髄の中の突起の短い小型の特殊な細胞だけが抑制作用をもつと信じられており、従って、小脳皮質の出力を司る大型のプルキンエ細胞がすべて抑制作用をもつとのこの発見は脳・脊髄における抑制とその機序についての一般的な考え方を大きく変える画期的なものでありました。この発見に付随して、小幡邦彦博士らとの共同研究によりプルキンエ細胞の抑制作用を伝える化学伝達物質がガンマーアミノ酪酸であることを明らかにしました。これはガンマーアミノ酪酸が脊椎動物の脳・脊髄において化学伝達物質として働くことを初めて確定した研究であります。同博士は更に小脳の神経回路構造について系統的な研究を完成し、その結果はEccles,Szentagothai両教授との共著の単行本「神経機械としての小脳(The Cerebellum as a Neuronal Machine)」(ドイツ・スプリンゲル社1967年刊)にまとめられ世界に広く知られる所となりました。

 同博士は、1970年に小脳の片葉と呼ばれる部分が前庭動眼反射と称される基本的な反射の経路に直接つながっていることを見出し、この結合の詳細なに基づいて、1972年には、片葉が視覚により伝えられる網膜の誤差信号を手掛かりとして前庭動眼反射の動特性を修正する動きをもつ適応制御の中枢であるとの仮説を提唱しました。この仮説は反射にすぐれた適応性を付与する特別の装置として小脳の働きを極めて具体的にとらえることを可能にしたもので、小脳の神経機構の研究に新しい頁を開きました。その後、同博士とその共同研究者はその後種々の角度からこの仮説を実験的に証明することに成功しました。これら一連の成果は小脳の運動学習の神経機構についての一般的な原理を与える重要な意義があり、これにより同博士は1981年藤原賞を受賞しました。

 上記の「前庭動眼反射の適応制御に関する片葉仮説」は、小脳皮質に特殊なシナプス可塑性が存在すると仮定し、これによって小脳皮質の神経回路網が学習能力をもつことを導き出す理論(Marr-Albus理論)とよく符号していました。当時この仮説を検証しようとした世界中の実験研究者がこの可塑性の証明に失敗したなかで、同博士は1980年頃より直接的な理論の検証を試み、ついに長期抑圧とよばれるシナプス可塑性が小脳皮質の神経回路に備わっていることを発見しました。このシナプス可塑性「長期抑圧」は小脳の神経回路網の学習能力の基礎をなすもので、この発見により小脳の運動学習機序の根本的な理解が得られました。この研究業績により1986年学士院賞・恩賜賞を受賞しました。

 1984年には著書「小脳と神経制御(The Cerebellum and Neural Control)」をニューヨークのレーベンプレス社より刊行し、小脳の神経回路網の構造と機能に関する知見を集成し、小脳の働く一般的な原理の定式化を行いました。さらに同博士はこの原理が脳の思考過程についても適用出来ることを指摘し、最近の非侵襲的な脳機能の計測結果に理論的な解釈を与えました。これにより、小脳が運動だけでなく認知機能においても重要な役割を演ずることが理解されるようになりました。

 1989年伊藤博士は東京大学を定年退官し、理化学研究所の国際フロンティア研究システムに移りました。ここに新たに研究室を開設し、小脳の長期抑圧の分子過程の解明を行ないました。以来、同博士とその共同研究者らにより、サイクリックGMPを始めとするセカンドメッセンジャの働きによりグルタミン酸受容体の燐酸化に至る長期抑圧の分子過程が明らかにされ、長期抑圧に伴って最初期遺伝子が発現することも示されました。このような分子機構の知識をもとに、長期抑圧を人工的に停止させる時に動物の運動に現れる障害を検出し、長期抑圧が運動学習に中心的な役割を演ずることを示す事にも成功しています。伊藤博士は長年日本生理学会代表幹事、日本神経科学学会会長を務め、1994年からは日本学術会議会長として我が国の科学研究全般の振興に関する重責を担っています。国際的にも、国際脳研究機構会長、同名誉会長、国際生理科学連合会長、国際学術連合会議総務委員等を務めています。日本学士院会員のほか、王立スウェーデン科学アカデミー、アルメニア科学アカデミー、英国王立協会、ロシア科学アカデミーの外国人会員に選定されています。

 以上のように、同博士の業績は神経回路網の構造と機能の解明を通じて究極の複雑系である脳の構成原理に到達しようとする現代の神経科学的研究を代表するものであり、その数少ない成功例として深遠かつ広範囲な創造性にあふれたものです。

 よって、伊藤正男博士の業績は、1996年(第12回)日本国際賞に誠にふさわしいものであります。

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