Japan Prize Laureates

Laureates of the Japan Prize

1994 Japan Prize受賞者

  • 授賞対象分野
    航空宇宙技術
  • 授賞業績
    月・惑星無人探査に対する指導的貢献と宇宙飛翔機ならびに深宇宙遠距離通信の開発における先駆的業績

【業績解説文】

業績画像
ウィリアム・ヘイワード・ピカリング博士

ウィリアム・ヘイワード・ピカリング博士

カリフォルニア工科大学名誉教授

  • 国籍:米国
  • 生年月日:1910年

授賞理由

 ピカリング博士は、米国カリフォルニア工科大学において電気工学の学士、物理学の修士及び博士号を取得後、1946年、同大学電気工学科教授に就任した。同博士は、洞察力が豊かで、探求心の旺盛な宇宙物理学者であると同時に、卓越した電気工学技術者として、同大学附属のジェット推進研究所(以下JPLと略称)において1944年から32年間自ら、宇宙観測、探査手段としての宇宙飛翔機並びにデータ取得のための深宇宙通信網の開発に努め、数多くの先駆的業績を挙げた。また、この間22年の長きにわたりJPL所長として月・惑星無人探査計画の推進と後継者の育成に指導的役割を努め、太陽系に関する多大な新しい知見を人類にもたらした。

 1944年、ピカリング博士はロケット研究を始めていたJPLに招かれ、無線遠隔測定(テレメータ)装置の設計・開発を行い、そのFM-FM無線テレメトリー・システムは1947年米国の標準方式IRIGとして制定された。この方式はその後世界の宇宙研究用としてのみならず、広く一般の産業における遠隔測定の各分野に普及し、実用化されている。

 ソ連による人工衛星スプートニックの打上げ成功を機に、1957年11月、メダリス少将が率いる米国最初の人工衛星計画にフォン・ブラウン博士と共に参画し、ピカリング博士は打上げロケットの上段部とバン・アレン教授設計の宇宙線観測器よりのデータ伝送用テレメトリー装置、並びにこれらの計装全般を担当し、その結果翌年1月米国最初の人工衛星エクスプローラ1号が誕生した。このような短い準備期間での成功には同博士の長年にわたる無線計測ならびに無線指令誘導技術が大きく寄与した。

 1959年にはピカリング博士が設計を主導したパイオニア4号が、米国の宇宙探査機として初めて地球引力圏を脱出し、人工衛星となった。これに続いてレインジャー号、サーベイヤ号による月面探査、マリナー号系による水星、金星および火星探査、さらにバイキング号による火星軟着陸などが次々と同博士の指導のもとで成功裡に行われたことは衆知の通りである。同博士退任後もその後継者により惑星探査が続けられ、多大な成果を収めている。ピカリング博士はまた、大口径アンテナを用いた遠距離探査機の追跡・管制・指令・データ取得施設の設計と建設に指導的役割を果たした。これが現在、世界3ヶ所における、直径70mのパラボラ・アンテナを中心とする深宇宙追跡網に発展した。同博士は深宇宙遠距離通信に不可欠のカセグレイン型低雑音パラボラ・アンテナを世界に先駆けて採用するとともに、メーザ低雑音増幅器、高効率情報伝送技術(高効率符号化・復号方式、位相同期受信方式、時刻信号・周波数の高安定化等)の開発にシステム指導者として次々と大きな業績を挙げた。今日、商用インテルサット系地球局を始め、小型局を除く殆どすべての衛星通信地球局はカセグレイン型アンテナを使用するとともに、上述の数々の通信技術を利用している。JPLでは同博士指導のもとに、惑星の画像データ取得のディジタル通信や、計算機による画像処理技術を開発し、世界中に極めて鮮明な惑星の映像を提供してきたことはよく知られているとおりである。これらの画像処理技術は現在、高精細度テレビのディジタル化や医療ならびに産業用として幅広く応用されている。

 以上、ピカリング博士の業績は21世紀の夢である「人類活動領域の宇宙への拡張」に対して先導的な貢献をするとともに、同博士が開発した数々の新しい宇宙技術は既に広く今日の人類の福祉に大きな貢献をしており、1994年日本国際賞受賞に誠にふさわしいものである。

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