アブドラ王立科学技術大学生物環境理工学部 特別教授
地球表面の71%を占める海洋は、気候変動の緩和、酸素の生成、食料の生産など多くのサービスを人間社会に提供している。一方、産業革命以来の人間活動の活発化は、二酸化炭素排出量増加などを通して海洋環境に深刻な悪影響を及ぼしている。カルロス・M・ドゥアルテ博士は、極めて多岐に亘る海洋生態系の研究を通して海洋の全体像と現状に精通している。その上で、海洋生態系が固有する機能(生態系サービス)を実証し、その機能の利活用が温暖化を始めとする地球環境問題の緩和と解決につながると主張する。
ドゥアルテ博士は、1990年代に海草、マングローブ、塩生植物の単位面積当たりの光合成速度は植物プランクトンと同等かそれより高いこと、かつそれらの体内に固定された炭素は枯死した後に海底堆積物として千年以上に亘って貯留されることを発見した。2005年にはこれらの植物が繁茂する「沿岸植生域」での炭素堆積貯留量を見積もり、その量は全海洋の炭素堆積貯留量の約50%にも及ぶと発表した。当時のIPCC-AR4 (2007) 報告書には炭素吸収源としての沿岸植生域に関する記載はなく、この発表内容は衝撃的であった。その後、博士を含む専門家グループは、2009年の国連環境計画(UNEP)報告書中で詳細な検討を加えた。本報告書において、海洋生態系が吸収する炭素を「ブルーカーボン(Blue Carbon)」と命名し、全海洋に堆積するブルーカーボン年間貯留総量(2.44億トン)の平均50%が、全海洋面積の0.5%にも満たない沿岸植生域に貯留されることを確認した。これらの堆積ブルーカーボンは、循環する炭素から切り離されて大気中に戻っていかないことから、地球温暖化抑止の観点において、沿岸植生域は最重要の生物圏であると結論した。
沿岸植生域は、水産資源の幼稚仔などを育む高い生物多様性と生産性、海面上昇や波浪などから海岸線を防御する機能(特にマングローブ林)を有するにもかかわらず、人間活動により最も破壊された生物圏で、その現存面積は1940年代の2/3〜1/2に縮小している。しかし、ドゥアルテ博士はまだ手遅れではないと、沿岸植生域の保護、再生活動を国連機関などと連携し、ユネスコは2021年に合計50海域を世界遺産に登録したと発表した。最近では、沿岸植生域を海洋自然資本(Blue Natural Capital)として評価、管理し、経済システムに組み込む制度の普及にも取り組んでいる。急激な地球環境変動下にある今、現存する自然生態系機能の利活用により地球環境問題の解決(Nature-based Solution)を図ろうとする博士の先見性は、持続可能な地球の未来への希望の光である。
以上より、カルロス・M・ドゥアルテ博士の功績は、「生物生産、生態・環境」分野における功績を称える2025年日本国際賞にふさわしいと考える。